万引とはいわゆる窃盗のことで、一般的にはなにか欲しいものがあってもお金がないので盗んで手に入れようとするなど、何らかの利益を求めて行う犯罪行為です。
しかし、そのような明確な目的もないのに万引を繰り返してしまう場合があります。それが前頭側頭型認知症という認知症で、本人は悪いことをしてやろうと思ってしているわけではないため、幾度となくくりかえしてしまうのも特徴です。
何度も万引してしまうのは前頭側頭型認知症かも?
一般的に認知症として有名なのは、患者数がもっとも多く認知症の患者さんの過半数を占める「アルツハイマー型認知症」ですが、それ以外にも「血管性認知症」「前頭側頭型認知症」「レビー小体型認知症」などの種類があります。中でも、「前頭側頭型認知症」の患者さんの症状としては、一般的に認知症の症状としてよく知られる「もの忘れ」はあまり見られない代わり、万引や痴漢、信号無視などの「反社会的な行動」が現れるのが特徴です。
前頭側頭型認知症の場合、記憶や見当識(日時など、現在に関する認識)を把握する能力はあまり障害されないのですが、社会性を保つ能力が障害されてしまいます。すると、ある状況において、しようとする行動が適切かどうかを判断し、適切でなければブレーキをかける、という理性や社会性の部分が失われます。
例えば、お店に買い物に行き、並んでいる商品の中で気に入ったものがあり、欲しいと思ったとき、それを手に持ったりポケットに入れたりしたまま、お金を払わずに持ち去ってしまうのです。しかし、もの忘れがあるわけではなく、窃盗が犯罪になることは理屈としては理解しているため、そこで警備員などに捕まると必死で言い訳をしようとします。
このとき、ぼーっとして応答もできないような状態であれば、警備員も病気ではないかと気づいてもらえるのですが、言い訳できることから、健常者でむしろ反省の色がない悪質な窃盗犯ではないかと誤解されてしまうことも多いのです。そして、たいていは警察にも検察にも気づかれることなく、罰金刑などを受けるのが一般的です。
しかし、計画的な窃盗犯の場合は盗もうと思って盗んでいますが、前頭側頭型認知症の場合はなぜ自分が盗んだのかわかっておらず、本人としては夢の中の出来事のように感じています。認知症という脳機能の障害の1つですから、罰金刑を受けても繰り返してしまい、正式裁判を起こされたり、さらにはその裁判での執行猶予中に再犯し、実刑となって刑務所に送られてしまったりする例も少なくありません。
前頭側頭型認知症は、アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症のようにもの忘れや幻覚などのわかりやすく特徴的な症状がないことから、判別が難しいことが問題です。家族は「更年期障害なのかもしれない」「寂しくてうつ病になっているのかな」などと違和感を覚えていることが多いのですが、うつ病などの精神疾患と誤診されてしまうと、余計に周囲も気づきづらくなってしまいます。
医師など医療関係者も、認知症に関連するトラブルはよく理解しているものの、刑事・司法分野や刑務所といったことには縁がない人も多いため、刑事裁判でも認知症の可能性が見落とされたまま「犯罪を犯した(繰り返した)」という事実のみが立件され、犯罪者として刑務所に送られてしまっている認知症患者さんも少なくないのです。
前頭側頭型認知症の判別には、専門医の診察を受け、MRIやSPECTなどの脳の画像診断を受ける必要があります。ですから、今までの人生ではとくに反社会的な行動が見られたことはない真面目な人だったのに、ある年齢を超えたあたりからなんとなく行動に違和感を感じることが増えた、万引で捕まってしまって本人も反省していたのに、短期間のうちに繰り返してしまった、などの場合は早めに前頭側頭型認知症かもしれないと疑い、検査を受けた方が良いでしょう。
他にも、前頭側頭型認知症の症状としては、以下のような特徴が見られます。
- これまでの本人からは考えられない反社会的な行動が見られる
- 味覚が変わり、料理の味付けが変わったり、スナック菓子を一気に全部食べてしまったりする
- 怒りっぽくなったり、粗暴になったりする
- 物事の特定のやり方にこだわる、1つの同じ行動をしつこく繰り返す(常同行動)
- 食事や入浴、その他の時間に非常に強くこだわる
- 食べ物や洋服など、さまざまなものを溜め込み始める
- 身だしなみに構わなくなったり、喜怒哀楽の変化が乏しくなったりする
- 会社や家族・周囲のことに関心がなくなり、会話が一本調子になったり、同じ言葉の繰り返しになったりする
認知症は一般的に65歳以上の高齢者の症状というイメージが強いですが、中には40代や50代の比較的若い世代で発症する人もいます。とくに前頭側頭型認知症は他の認知症と比べても発症年齢が早く、30代ごろから徴候が現れる人もいると言われているため、年齢が若いからと安心するのは危険です。もの忘れがなくても、年齢が若くても、上記のような症状や万引・信号無視などの行動に心当たりがあれば、ぜひ一度専門医の診察を受けましょう。
万引・痴漢・信号無視なども、本人は行っている最中、悪いことだとわからず、そうしようと意図せずに行っていることが多いため、注意や罰則を与えられても効果はありません。外出時にはできるだけ付き添うのが理想ですが、介護者の負担も大きいため、デイサービスを利用したり、毎回同じお店で万引してしまう場合はお店の人に事情を話し、あらかじめお金を預けておいたり、後で家族に請求してもらうなどの対策を取るのも良いでしょう。
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クレプトマニアとはどう違うの?
前述の前頭側頭型認知症とよく似た症状の1つに、「窃盗症(クレプトマニア)」という精神疾患があります。通常、窃盗行為は「あるものが欲しいけれど、お金がないから盗んで手に入れよう」というように、何かの目的があって窃盗という手段を使うものですが、クレプトマニアの場合、盗むという行為そのものが目的となっているのが特徴です。
そのため、十分な手持ちのお金や資産があっても数百円程度の窃盗を繰り返したり、盗んだもの自体には興味がないことも多く、窃盗後は盗んだものを放置してしまったり、一度も使わずに捨ててしまったりします。アメリカ精神医学会による精神疾患の診断マニュアルである「DSM」の最新第5版では、クレプトマニアの診断基準として以下のような項目が挙げられています。
- 個人的に用いるため、またはその金銭的価値のためではなく、物を盗ろうという衝動に抵抗できなくなり、それが繰り返される
- 窃盗に及ぶ直前の緊張感の高まりや、窃盗に及ぶときの快感・満足・解放感などが見られる
- その盗みは怒りや報復の表現ではなく、妄想や幻覚への反応でもない
- その盗みは素行症・躁病のエピソード・反社会性パーソナリティ障害では説明できない
このように、通常の窃盗行為である「欲しいものがあるから盗む」「お金がないから盗む」という、物品などの利益が目的となる窃盗とは異なり、クレプトマニアの場合は窃盗にまつわるスリルや緊張感、達成感や解放感などを味わうこと自体が目的となっているのが特徴です。このため、窃盗を他者から咎められる、逮捕されるなどの罰を受けても繰り返してしまいます。
しかし、窃盗が悪いことであり、自分がしていることが盗みである、ということはわかっているため、止められない自らの窃盗行為に対して強い罪悪感や後悔を感じることも少なくありません。「自分でなんとかしなければ」と思い詰めるあまり、社会的に孤立し、結果的に必要なサポートを受けることもできず、症状が重症化することも多々あります。
前頭側頭型認知症の場合は、窃盗という行為自体も、自分では止められないこともクレプトマニアと同じなためよく間違えられやすいのですが、盗もうとして盗んでいるわけではないことが大きな違いです。前頭側頭型認知症の場合は、自分の欲求に対して抑制がきかなくなるため、万引はもちろん、痴漢や下着の窃盗、スピード違反、信号無視、突発的な暴行や障害につながりやすいのが特徴です。一方、クレプトマニアの場合は性犯罪や交通違反、障害など、他の犯罪行為はとくに見られないことも多いです。
つまり、「通常の窃盗」「クレプトマニアの窃盗」「前頭側頭型認知症の窃盗」の特徴と違いをざっくりまとめると、以下のようになります。
- 通常の窃盗
- 物や金など、何らかの利益が欲しくて窃盗行為を行う
- 自分が盗みを働いている自覚があり、意思の力で止めることができる
- クレプトマニアの窃盗
- 盗む対象のものよりも、盗むという行為そのものが目的になっている部分が大きい
- 自分が盗みを働いている自覚はあるが、意思の力で止めることができない
- 前頭側頭型認知症の窃盗
- 「欲しい」という衝動に従い、物を持ち去ってしまう
- 自分が盗みを働いているという自覚はほとんどなく、意思の力で止めることができない
クレプトマニアや前頭側頭型認知症は、それぞれ精神疾患や認知症によるもので、本人は症状に苦しんでいることが大半です。ここまでにご紹介してきたような症状が見られた場合は、それぞれできるだけ早く適切な医療機関を受診し、診断と治療や対策を相談してみましょう。
また、ごくまれな例ですが、クレプトマニアと前頭側頭型認知症を合併することもあります。その場合、前頭側頭型認知症を発症すると、窃盗の内容がより大量になったり、大胆になったりするような急激な変化が見られる場合が多いです。もともとクレプトマニアであっても、このようにある日突然大きな変化が見られた場合は、前頭側頭型認知症も疑いましょう。
おわりに:突然万引をくりかえすようになったら、前頭側頭型認知症かも?
前頭側頭型認知症は、一般的に認知症と言ってイメージされる「もの忘れ」「見当識障害(現在の季節や時刻・場所などがわからなくなる)」がほとんどないため、なかなか認知症と判別されにくい認知症です。
しかし、社会性や理性が失われるため、万引や痴漢・信号無視・暴行などの反社会的な行動を衝動的に行ってしまうことがあります。もともと真面目だった人が突然変化した場合、前頭側頭型認知症かもしれません。
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